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こんにちは♪ ス~ジ~です♪ 

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独裁者を排除するだけでは

2003年4月10日(木)
「お前たち、でかしたぞ!」コリン・パウエル

今回ご紹介するのは、ノリエガと彼が率いるパナマ国防軍
を打倒した「正義作戦」のエピソードの要約です。この作
戦は、今回のイラク戦争「自由作戦」に酷似しています。
今回のイラク戦争をはじめるにあたって、コリン・パウエ
ルは、「正義作戦」での体験を何度も反芻したにちがいあ
りません。彼は、このエピソードを次の言葉で、しめくく
っています。

「明確な政治的目標をもち、それを守り通せ。必要な力を
すべて使い、それがどうしても必要ならば、大規模になっ
ても弁解するな。決定的な力が戦争をすみやかに終わらせ
、長い目で見れば人命を救う。将来いかなる脅威に直面し
ても、私はこれらの規則を軍事的助言の基本原則にするつ
もりである」。


<われわれがパナマにかかわるなら、ノリエガを排除する
だけで問題は終わらない>

パナマの真の支配者、パナマ国防軍の長、マヌエル・アン
トニオ・ノリエガ准将は、あばたの目立つ顔で、きらきら
とビーズのように光り、人を射るような瞳をもち、態度も
尊大で、魅力に欠ける男だった。たちまち私は、悪を面前
にしているときの、不気味な感じにとらわれた。

ノリエガは、25年前からCIAと国防情報機関に雇われ
ていた。またノリエガは、キューバとリビアをはじめとす
る各地の情報源と取引をし、パナマではKGBの自由な活
動を許可していた。

われわれはサンディニスタとゲリラ戦を展開しているニカ
ラグア-コントラに武器を送る通路として彼を利用してい
た。(ノリエガに)最初に出会ったこの当時、暴徒をまる
で敬愛されている国家指導者のように扱うのはまことに奇
妙だと考えたことを、私は覚えている。

冷戦政策はときどき身の毛のよだつような仲間をつくった


ノリエガはずるい手を使った。ニカラグアにおける反共の
ひそかな作戦を支援して、CIA長官ビル・ケーシーに気
に入られていたのだが、ときどき小さな麻薬売買を禁止し
てアメリカの麻薬取締局を満足させ、他方でコロンビアの
麻薬資金を浄化して何百万ドルもの金をかき集めていたの
である。しかし、ノリエガはやりすぎた。1985年に、
敵対する左派、ウーゴ・スパダフォラをパナマ国防軍が殺
害した事件に関与していたのだ。1988年2月になると
、麻薬取引を裏づける充分な証拠をつかんだマイアミとタ
ンパの大陪審が、ノリエガを起訴した。

われわれは苦境におちいっていた。政府は告訴にゴーサイ
ンを出したが、われわれはまだノリエガを利用していた。

結局、アメリカの諸機関はこぞってノリエガとの関係を絶
った。

国務長官ジョージ・シュルツは、ノリエガを排除するため
、アメリカの軍事介入を含む攻撃作戦を強く主張しはじめ
た。国防長官フランク・カールッチと統合参謀本部議長ビ
ル・クロウは、ノリエガは嫌悪すべき人物だが、ノリエガ
を排除するためにアメリカ軍を使用することは正当化でき
ないと主張した。軍部は最後の手段として以外、政治的目
標を達成するのにかならずしも軍隊を使いたがらない。遺
体袋をもちかえって両親にそのわけを説明しなければなら
ないのは、軍隊なのだ。レーガン大統領は、直接的な挑発
がなければ、パナマへの侵入を絶対に考えなかった。アメ
リカはパナマ人が自国の内政を処理するやりかたが気にく
わないからというだけの理由で介入し、「外国人」の暴漢
みたいに見られるのを避けるべきだと信じていたのである


われわれがパナマにかかわるなら、ノリエガを排除するだ
けで問題は終わらないと、私はずっと考えていた。ノリエ
ガの権力基盤は、パナマ国防軍だった。われわれがノリエ
ガを追い出せば、別のパナマ国防軍のならず者が現われて
彼にとってかわるだろう。そして、これまでのところ、わ
れわれはノリエガとその腹心の部下にかわる白馬の騎士を
見つけていなかった。国家安全保障担当大統領補佐官とし
て、私は何度か政策検討グループの会議を開き、ノリエガ
よりも一枚うわてのパナマ国防軍将校か、国防軍の反対を
乗り切れるパナマの民間人指導者を見つけようとした。


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